自粛するのも大変。
新型コロナウイルスを恐れるより、周りに迷惑をかけることが怖い。
仮に私が感染しても恐らく死ぬことはないだろう。←たぶんね....
しかし職場や接触した人物・お店など....周りへの迷惑は計り知れない。
だから感染予防を徹底している。
電車出勤から車通勤に、外食はしない。
買い物も閉店間際を狙って人と接触を極力さけている。
帰宅後も体内にウイルスを入れないように....
休みの日は引きこもり....
睡眠も普段より多く....
周りに目を気にする典型的な日本人といった感じ。
こんな生活が窮屈に感じて仕方がないアイボパパです。
写真のラッシーは、トリミングする前でふわふわの時。
数日後にトリマーさんに行って短くカットしたので、ラッシー最後のシェルティーらしい被毛。
旅立つことが分かってたら、カットした毛の一部を持って帰って来たのにな~🤔
今回も①②③に続き、ラッシーの思い出を振り返ります。
⬇⬇⬇【ラッシーがお空に・・・】①
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⬇⬇⬇【ラッシーがお空に・・・】②
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⬇⬇⬇【ラッシーがお空に・・・】③
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INDEX
ラッシーの容態が急変した2月15日
早朝、姉から「ラッシーが急に立てなくなった」と電話があった。
慌てて身支度を済ませ姉宅に急ぐと横たわって立てないラッシーが....
御飯も食べれず、水も飲めない状況。
右側の足が麻痺、目も麻痺性斜視の状態だった。
診療時間まで4時間近くあり状況の整理をしながら、ラッシーを励まし続けます。
姉の旦那さんが毎日ラッシーの脈を触診していたので、脈が乱れてることは分かっていた。
こういった場合(AF)、心臓から血液をうまく送り出せなくなることがあり血栓ができやすい。
診療時間になり姉が病院に連れて行ってくれた。
携帯をチェックすると姉からのLINE通知が....
こういう時の連絡は気が重い....
「検査も特にできず、ステロイドと点滴をして帰って来た。今は寝てる....」
わんちゃんの場合、CTやMRIと言われる画像検査も全身麻酔が必要で体力的に厳しいと判断したようだ。
夜、家族会議が行われラッシーをどのように看ていくか話し合った。
姉夫婦の考えはラッシーが食べたい仕草を見せた場合はご飯を食べさせ、水も飲みたい仕草があれば飲ませる。
延命に繋がるようなことはせず、食べる意思がないときは食べさせない、苦しまずに旅立てるようにしてあげたい....
私は強制給餌させ、水も飲ませる。栄養は生きるために絶対に必要だから....このときアイボを看取ったときを思いだした。
アイボと別れるのが嫌だから、アイボに少しでも長く生きて欲しいと思う気持ちは私の「エゴ」だったのかもしれない....
適切な表現ではないかもしれないが、強制給餌は拷問に近い。水を飲ますのも危険を伴う。
苦痛を伴うことをしてまで食べたいと思っただろうか、そこまでして生きたいと思ってなかったかもしれない....
生き物は「死」を恐れ、誰もが死にたくないと思っていると私は思う。
「いつ死んでも良いわ~」と、発する人でも何かあれば一目散に病院に駆けつける。
苦痛や痛みを伴ったり、精神的に滅入っている、もしくは精神的に追い詰められてる時を除いては、生きたいと思ってるはずだ。
ラッシーに食べ物を与えようとしても顔を背ける。強制給餌はやはり負担が大きい。
だから姉夫婦の出した結論に賛同し、ゆっくり時間がたつのを願うようになった。
水が飲めるように回復した日
立てなくなってから全く食べ物をうけつけない、水をシリンジで飲ませても蒸せる状態が続いた。
ステロイドと点滴だけは毎日の通院で入れてもらって....
7匹のニャンコとウェリナのご飯を運ぶとき、目でお椀を追ってるのが確認できた。
これは食べたいと思ってるサインだ!と思い、ご飯をあげてみるが食べない。
色んな形態を試してみても食べない。口に入れても嫌がる。
無理に食べさせないと決めていたので断念するが、やっぱりお菓子の時間も目だけは食べ物を追っている。
3日経ち、ラッシーが自分で立てるようになった。
足に力が入らないのか、生まれたての小鹿のように....
少しずつ歩くことも出来るようになり回復の兆しが見え始め始めた。
ラッシーが歩けるようになって自分で向かった先は、水飲み場だった。
水を飲みたいと思ったのだろう!
でも飲まない....
ここで気がつきました!! 食べ物も食べたいし水も飲みたい。けど、食べれない飲めないんだと....
おそらくではあるが、舌の運動神経か嚥下運動を司る神経が麻痺しているかもしれないと....
獣医さんに相談し、末梢神経の回復を期待してビタミンB12を投薬を開始した。
色々試行錯誤を繰り返しラッシーが水飲み場に行った際、シリンジを使って飲ますことに成功。
これで水は飲みたいときに与えれる。
後はご飯だけ食べてくれれば、栄養が取れる。
刺激も必要だと思ってウェリナと一緒に散歩に....
散歩が好きだったラッシーは気分良かったと思います。
何より久々のラッシーとの散歩にウェリナは大喜びで走り回ってました。
ラッシーを支える仲間たち
ウェリナはラッシーと常に一緒。
離れたのはラッシーが入院した時ぐらいで、一時も離れたことはありません。
普段はソファーで寝ていたウェリナとラッシー。
ラッシーの具合が悪くなってからは床にクッションを置いて、ラッシーだけクッションで寝るように....
ウェリナはソファーを独り占めできて、最初は喜んで広々寝ていました。
ところが数日たつと独りで寝るのが寂しくなったようで、ラッシーの寝るクッションに一緒に寝だして....
大きさ的にも無理があるし、ラッシーが窮屈そうな状態だったのでスグに退かせましたがラッシーを励ましてたのかもしれません。
家の中ではニャンコ達も常に一緒に生活してるので、心配そうに見守るニャンコ達。
みんながラッシーを応援しました。
一列に並んでラッシーを見守っています。
目も見えない子猫時代にラッシーがアイボファミリーの一因に入れた未羽(一番左)は、ラッシーに似てヤッパリ変わっていて独り後ろ向いてます。
私には分かりませんがラッシーには、未羽が後ろに向いてラッシーを励ます理由がわかったハズ。
ご飯が食べれるようになった日
水が飲めるようになり、散歩も出来るようになったラッシー。
毎日、少しずつ回復していくので嬉しかったです。
具合が悪くなってから4日が経ち、その日も食べれない状態でしたが夜になって姉からの連絡が....
「ラッシーがお肉を自分で食べた!!!」
職場にいた私は思わず声に出して「やったー」と叫びました。
送られてきた写真と動画を見て、喜びで体が震えましたよ。
すぐインスタグラムに動画をアップして、あの時は本当に嬉しかった(^_^)
ラッシーは皆の応援に応えるように回復していってくれました。
ラッシーに最高の生活が始まる
ラッシーがお空に・・・②でお伝えした内容と重複するのですが、何度も命の危機を乗り越えてきたラッシー。
獣医さんからも「ラッシー君はシェルティーの罹りやすい病気を全部もってるな~」と要らないお墨付きをもらうほど。
そんな病気のなかでラッシーが一番辛かったのは、甲状腺機能低下症だと思います。
甲状腺機能低下症は名前の通り、血液中の甲状腺ホルモンが何らかの原因により低下する状態です。
それにより浮腫が生じたり、新陳代謝が低下し体重の増加をまねいてしまいます。
ラッシーは関節リウマチも持ってたので、体重増加は絶対に避けたいところでした。
3歳くらいから甲状腺ホルモンを促す薬を生涯飲み続け、それでも体重のコントロールは難しく....
食べることの制限を3歳くらいからずっと続けてきました。
食べることが大好きなのに、ほんとうに辛かったと思います。
ご飯は体重コントロールのドッグフードを少量。驚くほど少量です。
あとは煮大根や煮キャベツなどでかさ増しし、10年以上我慢してきました。
少量のご飯なので食べ終わるが早く、数秒で完食。
散歩中も食べ物を探しながら下を向き、匂いを嗅ぎながら....
それでも体重の増加が抑えれない状態でした。
体重が増加し関節に負担がかかり、歩くことが出来なくなったことも....
牧羊犬になる素質を持つラッシーには酷な状態でした。
そんなラッシーですが容態が悪くなり体重の激減があったので、何でも食べたい物を食べれる時が訪れたのです。
牛肉、鶏肉、豚肉、あんパンや何でもOKに....
そして好物の鯨の生肉もいつもより多めに貰って....
あまり長くは続かなかったけど、最後に美味しい食べ物を食べれて本当に良かったと思っています。
次回は「ラッシーにお迎えが来た日」を書きたいと思います。
本日は以上です。
今回もご覧くださり、ありがとうございました。
左下の写真、白くて小さいワンコがアイボです。
今はお空に旅立ってしまいましたが、このブログの看板犬です。
その横に移るシェルティがラッシーです。ラッシーもお空に旅立ってしまいました(T_T)
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