動物(ヒト)に秘められた、神秘の治癒力②の続きです。
害のない検査はない
レントゲン検査がからだに悪いということは、一般によく知られている。
しかし、胃の検査でバリウムを飲んだだけで腸閉塞を起こして死ぬことがあることや、内視鏡が胃や腸を貫通して腹膜炎を起こして死ぬことがある事実はあまりしられていない。
他にも造影剤(レントゲン写真の影を造る物質)の注射の死亡例も報告されている。
だから検査の結果により治療法がどのように変わるかをハッキリさせておかねばならない。治療につながたない検査は受ける意味がないのだ。
例として、椎間板ヘルニアを診断するだけならば脊髄造影検査までする必要はない。脊髄造影検査は椎間板ヘルニアを起こしている場所を特定するための検査なので手術を受ける気持ちがなければ、リスクのある延髄造影検査を受ける意味がない。
なかには、自分が安心するために検査を受けるという方もいるだろう。
しかし、それは理論的に間違っている。検査によって得られる基準値(昔は正常値と呼ばれていた)は、健常者の95%が示すデータを意味する。
なので二つの検査をして、二つとも基準値の範囲に納まっている確率は、0.95×0.95=0.9025となる。
十項目の検査をすれば約60%、二十項目の検査をすれば36%の人しか基準値に納まっていない事になる。逆に64%の人が基準値から外れたデータを持ってる事になる。
そう考えると安心するために受けた検査が、逆に心配の種になりかねない。
検査データが異常でも症状を認めなければ、何も治療する必要がない。
そんな検査データ的異常は、病気ではなく個性だと考えれば良い。多くの検査を受けて何一つの異常もなければ、それこそが異常である。
細菌もウイルスも寄生虫も、我々と共に生きる仲間である
歴史を顧みれば明白であるが、我々人類がチフスやコレラといった伝染病を克服することができたのは、医学の進歩の賜ではない。
これらの伝染病は予防接種や抗生物質などによる治療法が確立される前に、すでに沈静化していたのだ。
伝染病の大発生に歯止めをかけたのは、上下水道の設備などの衛生面、労働条件、食生活改善といった人間の生活環境全てが改善したからである。
医学の力でねじ伏せたわけではない。
我々動物の体内には、その動物を構成している細胞の数と同じだけの微生物が生息している。
それらの微生物なしでは生きてはいけない。
微生物のうち、腸内細菌はビタミンを生成し、またあるものは都合の悪い微生物を排除したりして動物と共存しているのだ。
病原性微生物も彼ら自身が動物に対して病原性を持っているというより、その微生物に病原性を持たせると考えた方が合理的である。
抗生物質が開発されても、スグに抗生剤の効かない耐性菌ができていく。
結局、本来はおとなしい微生物に強い病原菌をもたせているのは人間である。また、エイズやエボラ出血熱などの新しいウイルスが地球上に出現したのも、人間が大自然のバランスを崩したからである。
予防接種について
人間の世界では、今一部の医療関係者の間で予防接種が見直され始めている。
副作用のを覚悟して行う必要性があるのか?
予防接種は一度罹った感染症には二度と感染しない、という経験的法則を元にして発明された。
ジェンナーの種痘が有名だ。
病原性を失わせたものや、病原性を無いようにしたウイルスを体内に入れ、抗体をつくらせ、次に体内に病原体が侵入してきたときに、抗体がやっつける仕組みである。
体内に異物を入れるのだから副作用がないわけがない。
予防接種は完全な病気の予防法でないことは確かだ。ただ確率の問題で予防接種を受けた方が受けないより安全である、と言うことである。
自然治癒の障害になってるもの補うことはできても、自然治癒を促進することはできない
動物は外傷や病気からも、起承転結という経過をたどって回復する。
いかなる医学の力をもってしても、この時間を縮めることはできない。七日で自然治癒するものを、医学の力で三日で治そうとしても不可能である。
ただし傷の間に砂などの異物があれば、自然治癒が妨げられるので除去しなければならない。
自然治癒するために必要なものがあれば、それを補わなければならない。これこそが医学の力である。
そして医学の限界でもある。
病気は自然と調和するための試練、不自然なライフスタイルに対する警告である
そもそも病原体を生活環境から抹殺して病気をなくすんだ、という考えには無理がある。
無理があるばかりでない。その考えを実践すると新たな病原体が発生する原因にさえなりうる。
細菌もウイルスも寄生虫もみんな我々と共に生きる仲間なのである。
我々人間もこの自然の中で、彼らと共に仲良く生きていかなければならない。
それが自然の摂理である。我々は自然の摂理に逆らって生きていく事は絶対にできないのだ。
動物のライフスタイルが不自然になると、病気が発生する。これも自然の摂理なのだ。
病気は不自然なライフスタイルに対する警告なのである。
病気はすべて心身相関である
かつて天才物理学者アインシュタインは、E=mxC²というとてつもない公式を導き出し、それまでの常識を覆した。
Eはエネルギー、mは質量、Cは光の速さを表している。つまり、エネルギーは質量と光速の二乗との積に等しいというもの。
形のないエネルギーと形のある物質とは、実は同じものだということである。物質がエネルギーに変わったり、エネルギーが物質に変わったりする。
原子爆弾は、このアインシュタインの原理を応用して作られている。
今、生命の不思議に思いを馳せると、物質とエネルギーだけでなく、心も実は同じものではないかと言う考えに達する。
心と言うのが不適切ならば、魂、スピリッツ、気、と呼んでもいい。心はすなわちエネルギーであり、物質なのだ。
こう考えると遺伝子もという物質が自己治癒システムを持っていても納得できる。
遺伝子を構成している分子や原子が、究極的にはエネルギーそのものが自己治癒システムをもっているのではないだろうか?
我々動物は自己治癒システムと免疫系のおかげで、微生物と仲良く共存し、宇宙から照射される放射線に耐え、考えようによっては奇跡ともいえる健康を享受しているのだ。
では、どんな時に病気になるのだろうか?
生体のバランスを保とうとするエネルギーより、バランスを崩そうとするエネルギーの方が大きい場合である、といえる。
エネルギーは心だから、心エネルギーが低下しているときに生体のバランスが崩れ病気になるのだ。
からだすなわち心で、心すなわちからだなのだ。だから、病気はすべて心身相関である。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
神秘の治癒力の著者 永田高司先生の考えに賛同できましたか?
少し過激な内容に感じましたか?
次回は、アイボパパの感想と考えを書きたいと思います。
少し長くなってしまったので、ここで一旦、終わりにします。
最後まで、お付き合い頂きありがとうございました。
恒例の本日のアイボ。
今日は、アイボの四十九日です。
アイボもとうとう、次の世に旅立つ日を迎えました。
最後にアイボパパと、2人秘密の約束をかわす気持ちを写真に込めました。
最愛の、アイボへ
次の世も今まで通り気丈な性格を貫き通すんだよ。頑張れよ!そして幸せにな!